6月 2019アーカイブ

シークレット新潟ビジネスツアー

こんにちは。

 

稼ぐ仕組みと任せる仕組みの両輪で、経営者、ビジネスリーダーの売上の限界突破をサポートする松本です。

 

実は、クライアントのご要望があるときにだけ、

こっそり開催している秘密のプログラムがあります。

 

それが、

 

シークレット新潟ビジネスツアー!!

 

 

 

新潟で何見るの?

 

出張行っても、日帰りですよ。

 

という方は、かなり損をしています。

 

なぜなら、ビジネスの参考になる

魅力的な会社がたくさんあるからです!

 

 

刃と刃を合わせて切るニッパー型爪切りで
有名な諏訪田製作所。

一丁6万円超えの爪切りもあるんです。

外観は、ヨーロッパ郊外の美術館のようです。

 

廃材で作られた戦士が出迎えてくれます。

こちらも、

 

こちらも廃材です。(盆栽)

美しく並んだ商品。

爪切りだけでなく、盆栽ツールもあります。

今年の新作は、ステーキナイフセット。

欲しいです(笑)

 

工場内はガラス張りになっており、

職人さんの手作業が観れます。

 

職人の手元をアップで観ることができる

iPadも設置されています。

この日は、経営勉強会で半年間ご一緒した

竹越取締役にご案内いただきました。

 

次に向かったのは玉川堂。

趣のある玄関を抜けると、

 

 

 

こちらも趣のあるショールーム。

奥からはカンカン、カンカンと、

心地よい音が響いてきます。

 

 

  

 

 

手作業を見学させていただきました。

職人の皆さんが、集中して作業しています。

思わず見入ってしまいますね。

 

 

 

高級箸を製造しているマルナオさんへ。

10月にはパリにも出店されるとのこと。

 

 

もともと、木工所としてスタートし、

彫刻や木工技術を土台として

箸を作っているとのことです。

 

 

キャンプが趣味のクライアントの要望で、

スノーピークヘッドクオーターへ。

 

広い敷地。

ここでキャンプは、さぞ気持ちいいでしょうね。

 

日常を離れ、

飛躍している会社の歴史的な背景をたどりながら、

自然に対話が生まれます。

 

・自分の会社がたどってきた歴史とは?

 

・自社の特徴とは?

 

・魅力をどのように発信すればいいだろうか?

 

ただ見学するだけではなく、

移動の途中には、

感想を語り合ったり、

質問を投げかけたりしながら、

自然な形で振り返る機会が生まれます。

 

これも一つの目的です。

 

非日常の時間と空間で、

自社を振り返る。

そういう時間は、クオリティタイムです。

 

最後は、新潟の幸で締めます。

 

翌日、余裕がある方とは、

新潟市内、佐渡、日本海を一望できる場所で、

一緒に座禅をします。

 

朝のすがすがしい空気を感じながら、

心を整えてから帰路へ。

 

 

東京からは新幹線で2時間弱。

JAL、ANA、ピーチ、大韓航空と

格安航空から国際線まで要する新潟空港もあり、

交通の便はとてもいいんです。

 

今回も、いいシークレットツアーになりました。

 

以前、体験記を書いていただいたブログはこちら。

新日本紀行 @新潟

 

 

今日も読んでいただき、ありがとうございました。

 

追伸、

 

シークレット新潟ビジネスツアーに興味がある方は、

問い合わせくださいね。

 

 

私の履歴書

初めまして、松本興太です。

 

この記事では、まだ私のことをよく知らないという方に向けて、自己紹介をさせていただきます。

 

「柔道」と「ボランティア」しか

したことがなかった私、松本興太(まつもとこうた)が、

 

父が病に倒れたのを期に、会社経営の世界に飛び込み、

リーマンショックや危機的状況を乗り越えながら、

事業立て直し、

無借金経営などを経て、

2017年3月に会社をM&Aにて手放すまでに学んだ

 

「 実体験から得た知恵 」を

分かち合えればと思い作成しました。

 

現在は、家族との時間を大切にしながら、

全国のクライアントを持ち、

経営コンサルティング、

コーチング事業をさせていただいております。

 

 

「就職経験」も「資格」も「人脈」もない「地方在住者」で、

「柔道」と「ボランティア」しかしたことがないのに、

 

なぜ、コンサルティングをしているのか?

なぜ、今のような状態になったのか?

 

不思議に思われることもめちゃくちゃ多いので、

(不審に思うレベルの方もたまにいるのですが(笑))

 

まずは、お伝えさせてください。

そして、私が何を考え、何を思いながら生きているのか、

私の価値観や世界観もあなたに共有したいと思います。

  

ここから、びっくりするくらい長いですm(_ _)m

 

 

私は24歳の時、「柔道指導者」から一転、

工場の経営に携わることになりました。

 

大学生のころ、

 

国連で働きたい!

 

と思うにいたる出来事がありまして、

(ここはまた追々書きたいと思います)

 

まずは海外での実務経験が必要だ!

 

ということで、

同期が企業に就職していくなか、

卒業後すぐに、青年海外協力隊に参加しました。

実は、卒業のための単位もギリギリだったんですが、

なんとか卒業させてもらえました(笑)

 

そして、中東のヨルダンという国で、

2年ほど柔道を指導していました。

 

アラビア語を駆使して、

次世代のナショナルチーム選手を育成する仕事は、

投げ出して帰りたくなるような程大変なことも多かったですが、

とても良い経験になり、その交友関係は今でも続いています。

 

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そして、0から始めた教え子達が、なんと、

2020年東京オリンピックを目指せるほどに成長し、

頑張っています。

 

 

海外経験も積んだし、

仕事の魅力もやりがいも体感した。

 

なにより、文化も習慣も全く違う人達と、

柔道という日本の国技を通して、

お互いの気持ちを通じ合わせ、

一つの目標に向かって熱い気持ちを共有できた経験は、

 

世界の平和に貢献する仕事がしたい、

国際協力の世界でやっていきたい!

次の進路は海外の大学院だ!

 

という気持ちをより一層強いものにしました。

 

そう考えていたのも束の間、

父から

 

『癌になった。長くもたないかもしれない・・・・。』

 

との電話。

 

こんなに早く親が亡くなるかもしれないなんて・・・。

強烈なショックでした。

 

父は中卒で、苦労して事業を立ち上げた、

たたき上げの経営者でした。

当時、53歳で、

多くの社員を抱えていました。

 

 

「俺も好きに生きてきたから、おまえも好きに生きろ」

 

そう言われてきました。

 

じゃないと、なかなか

 

「海外に行く!?いいじゃないか!」

 

なんて言わないですよね。

 

特に継いでほしいと言われたこともなかったのですが、

(53歳だったので、まだまだやる気だったことでしょう)

 

今は自分の夢ではなく、家族のために、

自分が出来ることをするほうが先なんじゃないか?

 

 

そんな気持ちが湧いてきました。

 

なぜかというと、

ヨルダンで過ごす2年の中で、

家族の大切さを学んだからです。

 

それまでテレビや報道で見る

中東とのイメージとは違い、

 

僕がお世話になったヨルダン人は、

人生の中で何よりも家族を大切にしていました。

 

 

私は世界の平和に貢献する仕事をしたいと思っていました。

 

でも、ヨルダン人と接するなかで、

 

家族が平和で、安心した暮らしがあってこそ、

身近な安心や平和があってこそ、

平和なのではないか

 

と、強く思うようになりました。

 

 

工場では、主に電気とか機械を扱っていましたが、

私自身は全く触ったこともありません。

 

数学も理科も赤点レベルの苦手分野。

 

自分に何ができるのか?

 

入ったからといって、

うまくやれるのだろうか?

 

 

悩みに悩んだ末、

日本に残り、

工場の経営に携わることを決めました。

 

 

現場を知らなきゃいかん。

 

 

ということで、

入った直後に出向することになり、

 

新聞に取材されたり、

どこへ行っても

先生、先生!と慕われる海外生活から

 

 

一介の工場の生産ライン作業者に。

 

 

この経験は想定外なことの連続で、

 

・「柔道」と「ボランティア」しかしたことがないの?何しにきたの?

・小柄でカワイイ年下の派遣の女の子より、全然使えないなお前。と罵られる

 

無価値を突きつけられる

厳しく辛いものでした。

 

 

 

 

これまでの自分を否定されたような感覚。

 

一応、自分なりに人生頑張ってきたんだけど・・・

 

 

でも、受け入れるしかない。

 

会社、家族の将来がかかっている。

社員もいる。

 

使えないと思われると、

取引してもらえなくなるのではないか。

とビクビクしていました。

 

当時はそんな風に考えていて、

責任感でガチガチでした。

 

出向先は、山形の雪深い片田舎。

工場の近くの、

民宿のような宿での生活。

ネットもほとんど使えない。

 

朝は始業時間よりも1時間は早く出勤。

製造ラインが動いてないから、

作業工程を確認できる。

 

ちょうど仕事の多い時期だったので忙しく、

研修も無く、OJTもそこそこに、

先輩作業者の後ろから、作業の様子を見ながら

ひたすらノートにメモ、メモ、メモ。

 

ほとんど見て学べ的な環境でした。

 

当時は、機械の絵を描いたり、

作業ノートを作ったりして

仕事を覚えていきました。

 

 

取引先の次の経営者となれば、

工場内での視線も違います。

露骨に馬鹿にされることもありました。

 

今となっては時効だと思うので告白しますが、

一回だけ、

仮病で休みました。

 

心では行こう、行こうと思うのですが、

体が言うことをきかず、

ドアノブに手を触れることができず、

寝返りを打つと落っこちてしまいそうな

狭いベットの中で泣きました。

 

悔しかったです・・・

 

できれば思い出したくない事ばかりです。

 

 

檄を飛ばされながら、

使えねーなとディスられながら、

一つずつ、着実にやり、

恥とか、プライドとか関係なく、

わからないことはわからないとはっきり言って、

なんとか仕事を覚えていきました。

 

しかし、そんな努力の裏で、

世界は着々と

リーマン・ショックに向かっていました。

 

 

結局3年いるはずでしたが、

リーマン・ショックで仕事量が急減し、

希望退職も募るような状態になりました。

真っ先に出向者は切られます。

 

 

仕事もイマイチ覚えられない中途半端な状態で、

心配と不安しか無い中、

会社に戻ることになりました。

 

生産ラインでの日々もなかなか辛かったのですが、

ここからもっと辛い日々が始まりました。

 

なんと、受注していた仕事がほとんど無くなったのです。

 

仕事の急減で一時期は週休6日の日々。

 

輪をかけるように品質不良による

取引先とのトラブル。

 

社員にも辞めてもらわなければいけない。

心苦しい日々。

 

お金は出ていくばかり、

社内の人間関係も悪化、

 

頭をよぎるのは、「倒産」の二文字。

 

当時26歳。

青春を謳歌しているはず、

海外で夢に向かって生活しているはずだった人生は、

どん底にまっしぐらな

ジェットコースターに乗っているような状態でした。

 

 

 

なんとかしなくては・・・。

 

そう思ったのですが、

何から初めていいかわかりません。

 

経営者といっても、

結局、技術を学ぶための出向がメインだったので、

お金のことも経営のことも

まったく1からのスタートでした。

 

当時は、システムも経験も、組織もなく、

帰ってきたときは、会議すらありませんでした。

 

・お金のこと

・組織やマネジメント

・ビジネスモデルのこと

・社内の人間関係のこと

・営業のこと

 

何から手をつけていいかわからない。

 

これからどうしていくのか?

社内で、いろいろモメました。

 

まぁ、詳しくは書けませんが、

あなたがご想像されるようなドロドロな感じですよ(笑)

 

 

そんな中、まずはホームページだ!

と思い立ち、

一人でホームページを立ち上げ、

営業を始めました。

 

ビジネスは素人でしたが、

 

「会社のルーツを紐解き、強みを見つける質問」

 

を作りだし、

そこから導き出されたことを形にして、

 

コンセプトとポジショニング

 

を作りました。

 

 

そして、そのコンセプトとポジショニングに基づいて作ったホームページから

 

 

なんとか、新規受注を得ることができ、

これがV字回復の大きなきっかけとなりました。

 

 

やりゃーできるもんだな、と思いましたが、

ビギナーズラック。

 

それなりのボリュームのある仕事を受注したので、

キャパを考えると

たくさんの会社を受けることができませんでした。

 

 

営業だけでは長期的には無理だし、

そもそも経営について、何も知らない。

学ばなくてはいけない。

 

ちょうど商工会かどこかから送られてきたDMで知った

経営管理全般について学ぶ講座に、

わらにもすがる思いで参加しました。

 

なんとか学ぶ場は見つけたのですが、

自分が何も知らない、という現実を突きつけられ、

激しく落ち込みました。

 

『君、こんなこともわからずに、来てるんか?

経営者って言ってるのか?』

 

と、先生にどやされる始末。

 

内心、

「いやいや、素人にちゃんと教えるのが学校だろ、、。」

と思っていたのが正直なところ。

 

腸が煮えくり返ったりもしましたが、

そんなことは言っていられません。

当時26歳。0スタートでした。

 

 

良い同期に恵まれ、

学んだことを素直に実践していくことで、

次第に状況も改善していきました。

 

倒産が頭に浮かんだ手取り10万円生活から、

経営を安定させていくことができました。

 

それからも幾度か困難な場面に直面しましたが、 

出会った先生や

活躍されている方に個別に会いに行き、

相談に乗ってもらいました。

 

 

ビジネスのこと、

社長とは、

リーダーとはなど、

参考になる本や考え方をいろいろ教えてくれる方が現れ、

当時のことをうまく思い出せないくらい、

必死に、がむしゃらにやった結果、

実際に無借金経営になり、業績も向上しました。

 

最悪期を抜け出し、

自分の仕事も任せる余裕が出てきたのは嬉しかったのですが、

 

ふと一息つく時間が持てるようになると、

心にモヤモヤしたものを感じることが多くなりました。

 

 

俺の人生って、ただ頑張るだけなんだっけ?

 

自分の才能や自分らしさをもっと発揮したいって

思ってなかったか?

 

 

当時は、よく分からなかったのですが、

心から満足していない自分がいるということには

薄々気づきはじめていました。

 

 

モヤモヤした気持ちを心に抱きながらも、

時間があったのもあり、

自分の海外での経験や、

仕事について、

母校や、地元を中心に小学・中学・高校・大学、

またはロータリークラブや一般向けセミナーや

公開講座などで講演をさせていただく機会がありました。

 

多いときは1ヶ月に2回も

講演させていただく機会がありました。

 

 

メインメッセージは、

 

「今、一生懸命になれることを、一生懸命やろう」

 

とお伝えしていました。

 

自分自身、中学生から始めた柔道に夢中になり、

気づけば12年もやっていました。

 

 

辛いときの方が長かったですが、

一生懸命になれる一つのことを、

一生懸命やり続けたことが、

振り返ってみると今の自分に繋がっているな〜と思っていたので。

 

しかし、頂く感想に、

いつも胸がチクチク痛むことに気づきました。

 

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そういえば、今の俺って、

一生懸命になれているんだろうか?

 

家族のために地元にもどり、

会社に入り、

目の前の仕事の忙しさと責任に、

いつの間にか自分のことについて

考える余裕がなくなっていたことに気づきました。

 

 

人のためには動いているけど、

自分の一生懸命に対しては・・・・。

どうだろう?

 

俺、偉そうに語れる資格があるんだろうか。

 

それから、

「自分が本当にしたいことって何だろう?」

「自分は何に一生懸命になれるんだろう?」

 

世界の平和に関わりたい。

 

そんな総理大臣が言うような、

大きなことは出てくるのですが、

じゃ、

「資格」も「人脈」も「就職経験」もない「地方在住者」の

お前に何ができるの?

 

考えれば考えるほど、

自分には無理。

 

無力だというような気がしてきました。

 

そして、どんどん、よくわからなくなってきました。

 

 

どうすれば、もっと自分がやりたいことがわかるんだろう。

そんなことばかり考えていました。

 

 

そんなある日、先輩から一通のメールをもらいました。

 

外務省が主催する

若手ビジネスマンを

サウジアラビアに連れて行ってくれるプロジェクトがあるけど、興味ある?

 

という謎の連絡。

 

 

ずっとモヤモヤしていましたから、

海外に、大好きなアラブに、

無料で連れていってくれる!

 

しかも外務省って・・・。

 

地方在住者の私には

???????????????くらい

頭に?マークがつきましたが、

 

試験を受けるだけは無料だし、

当たればタダで海外に行けるし、

(このときは宝くじみたいなものと思ってました。

宝くじを買ったことはないんですが・・・。)

 

チャレンジしてみようか。

これも何かのご縁かもしれない。

 

仕事に余裕はあったし、時間はとれる。

 

受けることにしました。

 

 

作業着しか着たことがなかったのですが、

あり合わせの服でスーツっぽいものを選び、

面接のためにいざ外務省へ。

 

ビクビクしながら望んだ面接。

 

厳しそうな面接担当の方が2名座っていて、

机には応募書類とみられる山積みにされた紙の束。

 

「えっ、こんなに応募者いるの!?

候補者いないから困っているって言ってたじゃん・・・。」

 

 

面接は英語。

全く歯が立たない。

 

見かねた面接担当の方が、

「アラビア語でもOKですよ」

と言っていただき、

さび付いてしまっていたアラビア語にて再度面接。

 

こちらの方が良かったらしく、

ちょっと手応えを感じました。

 

なんとか合格することができサウジアラビアへ。

 

 

そこで今まで出会ったことのない出会いがありました。

 

なんと、参加者の中に

本を書いている「著者」の方がいたのです。

 

 

1万部を超えればベストセラーと言われるらしいのですが、

なんと15万部を超えるベストセラーを出している。

なのに、年齢が自分よりたった一つ上!!(当時30歳)

 

衝撃を受けました。

20代で本なんて書けるの?

しかも売れていて、海外でも講演したり、、、。

 

今までの当たり前や、常識が一気にぶっ飛びました。

 

地方では見ることも出会うこともない人との出会いでした。

 

本当に本を書いている人って存在してるんだ。

というのが正直な感想でした。

 

サウジアラビアで一緒の時間を過ごし、

話をするなかで、

 

「え?こんな世界があるの??」

 

とビックリしました。

 

「学歴」も「資格」も「人脈」もない「地方企業」出身でも、

活躍するステージはある。

 

「会社に居なくても仕事は回る」

「才能をいかして仕事をすることが最強」

 

 

などなど。

 

その人は、

 

「学歴がなくても、行動すれば勝てる」

 

ということについて本を書いている人でした。

 

 

この方と会うことで、

 

 

自分の中に「新しい価値観」が生まれました。

 

 

そして、自分の中に現れた質問。

 

 

「俺も何かできるのだろうか?」

 

 

いや、やってみたい!

自分の才能を発揮して、生きたい!

自分も何かできるかも!

 

サウジアラビアプロジェクト後も個人的に会い、

一緒にいくつかの仕事をする機会もあり、

そこからいろんな人を紹介してもらう中で、

いままでの自分の価値観とは全く違う価値観で

仕事をしている人達がいることを知りました。

 

それから、紹介される本を読みあさったり、

成功している人に話を聞きに行ったり、

東京だろうが、大阪だろうが、仙台だろうが、福岡だろうが、沖縄だろうが、

どこでも新潟からセミナーに通いました。

 

それまで以上に会社にいない日が多くなりました。

 

罪悪感を感じながらも、

自分が興味のあることを追求しはじめました。

 

けれど、同時に疑問も浮き上がってきました。

それは、

 

すごい話を聞いた。大興奮もした!

けれど、俺、

 

何から始めれば良いだろう・・・。

 

この疑問をどうしても解消したかったのですが、

なかなか最初のステップがわからなかったのです。

 

 

そんな時に、コーチングというものがあることを知りました。

 

ちょうど、NHKのクローズアップ現代で、

 

「コーチをつける社長たち」

 

という特集をやっていて、

タイムリーだったこともあり、

コーチをつけ、コーチングを学び始めました。

 

柔道のコーチだったので、

コーチというものがなんとなく想像がつきました。

 

実際にコーチング会社を紹介してもらい、

担当者を質問攻めしていたので、

コーチをつける気持ちの上でのハードルは低かったかもしれません。

 

 

コーチングを学びながら、

コーチをつけることで、

「自分の力」 × 「他力」が加わりました。

 

すると、今まで以上に

 

目標設定が機能しだして、

日々の仕事が効率化されて、

社内の問題が解決していきました。

 

コミュニケーションスキルが身についたことで、

社内の人間関係が改善され、

仕事を任せることができていきました。

 

一人で悶々と考えていたことがクリアになっていき、

行動も加速し、

出会う人と良い関係を築けるようになり、

人生がどんどん良い方向に進むようになったのです。

 

 

積極的に行動していくなかで、

メンターと慕う人にも出会う機会がありました。

 

特に大きかったのは

経営コンサルタントの神田昌典さんが主催する

 

「アジアで、あなたの才能を発見する」アジアユニティー

 

というプロジェクトに参加する機会を得たことです。

 

 

神田昌典さんとの出会い。

全国、海外からも集まった60名の経営者と交流。

 

自分の才能って何?

何ができるんだろう。

 

そんな事を考えながら

凄腕経営者の方とふれあう中で、

 

実はうまくいっているすごい人も、

悩みが全くない

というわけではないことに気づきました。

 

 

話を聞かせてもらうことが多くなり、

個人セッションのような形で

お話する機会がありました。

 

 

そうしたら、

周囲の人も驚くような劇的な心理変化があったり、

うまくいかなかった社員とのコミュニケーションが改善したり、

たった一度話をしただけで、

変化を受け取られる人もでてきました。

 

 

何より、

 

「こんなに親身に話を聞いてもらったことは、いつ以来だろう」

 

こう言われたことが一番嬉しかったです。

 

なぜかと言うと、

僕は人の話が全く聞けない人だったからです。

 

自分のことばかり話す人でした。

 

 

けれど、自分が苦しい時に、

一番してもらいたかったのは、

自分の話を聞いてもらうことでした。

 

そして、例外なく、

尊敬するメンターやコーチは全て

話を聞いてくれる人でした。

 

話を聞いてくれるとは、

受けとめてくれるということです。

君なら大丈夫と声をかけてくれました。

 

自分よりも自分の可能性を信じてくれる人がいる。

 

これは、何よりも希望になりました。

 

衝撃的な出会いから、

自分自身を探求していく過程のなかで、

思い返してみると、

 

劣勢に立たされている立場から

自分自身も立て直してきました。

 

日本だけでなく、

ヨルダンでは海外の人達に対しても

立て直しから新しい未来をともに創り上げてきたことを

思い出しました。

 

もともとやっていたコーチングに、

圧倒的な才能があることに気づくことができました。

 

 

その後、今度は私も個別に相談に乗って役に立ちたいと思うようになり、

コーチングをし始め、

それが顧問契約となり、

コンサルティングに発展していくなど、

 

お声かけいただき、上場企業での研修案件にも関わったり、

参加された70名の前でコーチングのデモンストレーションをするなど、

「資格」も「人脈」も「就職経験」もない「地方企業」出身の

私には考えられない経験に繋がりました。

 

 

3年以上お付き合いのある経営者のクライアントは、

出会った当初はとても気持ちが落ち込んでいて、

大きな壁に突き当たっていました。

 

そこから、

自分の本当に大切にしたいこと、

事業の方向性とコンセプト、行動指針を、

対話を重ねながら、

一人では到達しえないところにまで深く深く

明確にしていき、

 

自分が大切にしたいことに沿って、

幹部や社員との関係性を再構築、立て直し、

新しい可能性にチャレンジする時間を作り、

社員教育のための社内セミナーをするなど

社員の成長機会を作り、

 

売り上げも年30%以上アップが3年続き、目に見える成果を得られたと同時に、

出会う人も、提携する企業規模も変わり、

大きな業界団体の期待の若手として、

次世代理事に内定されるなど、

出会ったころとは全く違う人になっていくことを

支援させて頂く機会にも恵まれました。

 

この体験は、僕自身も変えてくれるきっかけになりましたし、

ある昔の体験を思い出させてくれました。

 

 

それは、ヨルダンでの体験です。

 

青年海外協力隊としてヨルダンに赴任中の最後の試合。

 

当時のヨルダンで一番強い格上のヨルダン代表選手と

教え子の高校生の体重別個人戦、決勝戦。

 

格上選手の勢いに押されながらも、

立ち上がり、

危機一髪をくぐり抜けながらの綱渡りの試合。

 

その接戦の最後に、

 

相手の隙を突き、

大技が決まりました!

 

一瞬、試合会場の時間が止まったかと思うほど、

その場にいる全ての人が、

息を飲んだ静寂。

 

勝利はもちろんのこと、

文化も習慣も宗教も全く違う人達と、

柔道を通して心を通わせ、わかり合い、

その結果として共有できたあの時間と体験、

心の内側が震える感触は忘れることができません。

 

今でもありありと思い出せるほどに、

鮮明に脳裏に焼き付いています。

 

「心の内側が震えた、今でもありありと思い出せる体験に、

あなたのやりたいことは隠されている」

 

私の場合は、

 

それを、ビジネスの世界で共に創る行為が、

コンサルティング・コーチングだったんだということに

気づくことができました。

 

 

私は本当に運良く、たくさんの人に恵まれてきました。

 

辛いときもいつも信じて助けてくれた妻や家族

ビジネスについて手取り足取り教えてくれたメンター

変わるきっかけをくれた友人や、

刺激を与えてくれるクライアントの皆さん

 

私の人生のほとんどは誰かの善意のおかげです。

 

同時に、思い出したのは、

今は亡き、父の言葉でした。

 

私がまだ大学生で、

いよいよヨルダンに発つというその前に

父と二人きりで飲んだときに語ってくれた言葉は、

当時はあまりよく理解できませんでしたが、

今になると、

その意味がじんわりと響いてきます。

 

 

「料理人になれなかったこと。それは、少し後悔が残っている」

 

父は中卒で、料理人になるために上京。

しかし、夢を諦めたそうです。

 

縁のあった社長の下で働き、

地元に帰り、

事業を立ち上げ、

当時は地元の高額納税番付にも載るような会社を

一代で築きました。

 

周囲からも尊敬され、社員からも慕われている。

地域の福祉施設設立の支援をしたり、

柔道畳を道場一つ分寄付してくれたりもしました。

 

 

仕事も遊びもできる。

子供からみても、とても魅力的な父でした。

 

そんな父の、

 

「料理人になれなかったこと。それは、少し後悔が残っている」

 

という告白に、

父の本当の気持ちを、

垣間見たような気がします。

 

それは、成功したから言えることだ。

と、言うこともできるでしょう。

 

成功しなかったら、そんな気持ちにはならないよ。

逆に、料理人になってたとしたら、

やらなきゃ良かったと今頃、後悔しているよ。

 

そう、言う人も実際にいました。

 

 

でも、私は、それは違うと思います。

 

父が語ってくれたあの言葉には、

本当にやりきれなかった、

自分を信じ切れなかった、

努力しきれなかった

後悔の念がこびりついているように感じられました。

 

 

父は、闘病中、

苦しい状況を乗り越えるために、

 

「退院したら、ピザ窯を作ろう。あそこの倉庫も改造して、

BBQができるようにしよう」

と楽しそうに食について夢を語っていたそうです。

 

もう、この頃、父は食事をすることができませんでした。

死ぬまでの半年、

食べ物を口にすることができなかったのです。

 

あれほど大好きだった食べることを奪われ、

でも、食の夢を見る。

 

それだけ思い入れがあった青年時代の希望だったんだと思います。

 

もしかしたら、引退後は、蕎麦屋でもやろうかと、

密かに思っていたのかもしれません。

 

その話を聞いた私は、

あふれ出る涙を、

こらえることができませんでした。

 

 

端からみれば成功していた父ですが、

悔やむことが全くないわけではない

ということだったんだと思います。

 

この話を思い出す時、

やはり今、自分が本当にやりたいことをやる。

行きたいところに行くことを選ぶことの大切さを感じました。

 

そして、

 

将来を見据え、役員と話しあい、同時に、

 

「これからの人生をどう生きていくのか?」

 

ということに真剣に向き合った結果、

父が創業した会社を2017年3月に

M&Aにて手放しました。

 

コーチング・コンサルティング事業一本に絞ることにしました。

 

事業譲渡や設備の売却後、

今までにお世話になった取引先の支援もあり、

5ヶ月間、きついこともありましたが、

M&A後の会社の清算実務も

なんとかやりきることができました。

 

生まれたころからある会社を手放すということに、

悲しみを感じずにはいられませんでした。

 

 

立て直しの危機的状況の中から、10年経営しましたが、

工場経営という環境の中では、

本来の自分を100%発揮することはできませんでした。

 

お金の不自由はなかったのですが、

経営のストレスで父以外にも、

役員や親戚が癌になっていきました。

 

 

これが本当に幸せなのか?

 

と言われたら、

このままの延長線上の未来に

希望を感じることができませんでした。

 

 

手放した今、

会社のため、従業員のため、地域経済のため、お客さんのため、

 

これまで頑張った自分を少しずつ、

労ってあげることができました。

 

 

 

この体験から、

 

経営者が一人で悩み、

抱え込むこと無く、

心から幸せを感じられるようになることが、

本来の会社のあり方だと確信しました。

 

 

私のビジョンは、

 

「誰もが一人で悩みを抱え込むことなく、愛と安心と自信を実感し、未来に新しい夢を描ける世界」

 

 

です。

 

自宅でも、職場でも、コミュニティでもない、フォースプレイス(第四の場)を提供し、自己成長に真剣なリーダーのパートナーとして、変化と挑戦を支援し続ける

 

 

をミッションに、

経営者のパートナーとして、

コーチング、コンサルティング活動をしています。

 

 

それを達成する私の才能は、

 

あなたの人生の根底に流れるルーツを紐解き、

見えづらくなってしまった心の声を聞き、

そこからの深い気づきから、

あなたの強みと技術と経験を掛け合わせた

コアコンセプトを作ること。

 

それを、わかりやすく言葉にし、

一貫性のある成長ストーリーに落とし込み、

 

そこに向かう日々を楽しみながら行動し、

生きがいを感じながら、

幸せで豊かな人生を実現させる後押し

をする才能です。

 

 

私自身も、何度も諦めそうになるときがありましたし、

人生をリセットしてしまいたいと

本気で思ったこともありましたが、

 

一つ一つの出会いの中で気づいたことを行動に移し、

何より、

自分の未来への好奇心を持ち続けることを

忘れなかったことが

今に繋がってきています。

 

 

このブログが、

あなたがあなた自身の未来に好奇心を持ち、

あなたらしさを大切にする第一歩の

きっかけになれば、これほど嬉しいことはありません。

 

 

 

タイミングが合えば、実際にお会いできることを、

楽しみにしています。

 

恐ろしく長い文章にお付き合いいただき、

ありがとうございました。

 

あなたとのご縁に、心から感謝いたします。

 

松本興太

 

 

 

 

※ 細かいエピソードを書けば、この3倍くらいになってしまうかもしれません。書けないことも当然ありますし(笑)

 

ここだけの話は、クライアントさんにだけこっそりお伝えするかもしれません(^_^)

 

 

※ シェア歓迎です!

 

このブログがお役に立てそうなご友人がいらっしゃいましたら、
ぜひシェアしていただけると嬉しいです。

 

 

40代までにしておきたい、たった一つのこと

ここ最近、徹夜が続いている。

多くのネットメディアは、夜更かしは悪と言う。

 

しかし、これが板についてきた今、

早く寝ること、

十分な睡眠を取ること、

この方が、悪のような気がする自分もいる。

 

見解とは、いかにも勝手なものだ。

 

40歳という年齢について考えるとき、

徹夜に抱く思いに似た、

勝手な、

でも、頭から離れない思いを抱かざるをえない。

 

実は、それは、私だけではないようだ。

 

多くの人が、

40という年齢を、

一つの節目と考えたようだ。

 

例えば、村上春樹がそうだったように。

(私にとって村上春樹は、世界を舞台に活躍する表現者として、羨望の眼差しを向けつつ、意識せざるを得ない研究対象でもあります)

 

2018年末に読んで、

没入してしまった一つの小説がある。

 

「マチネの終わりに」

 

もしあなたが、この小説を読んでいないとしたら、

ぜひ読んでみてほしい。

 

このサイトはビジネスについて言及する類いのものだが、

恋愛小説から学ぶべきこと、

感じるべきことは、

ビジネスについて言及するサイトであったとしても、

必要な気づきの発生源となると考える。

 

小説の序章にこんな文章がある。

 

『出逢った当時、彼らは、「人生の道半ばにして正道を踏み外し」つつあった。つまり、四十歳という、一種、独特の繊細な不安の年齢に差し掛かっていた。彼らの明るく喧噪に満ちた日常は、続くと想像しても、続かないと想像しても、いずれにせよ物憂かった。』

 

40という年齢に、

特別な感覚をもって、

表現する人は多い。

 

特に私が40という年齢を意識するとき、

村上春樹の「遠い太鼓」の『はじめに』、を意識せずにはいられない。

 

『四十歳というのは、我々の人生にとってかなり重要な意味を持つ節目なのではなかろうかと、僕は昔から(といっても三十を過ぎてからだけれど)ずっと考えていた。』

 

『僕が怖かったのは、あるひとつの時期に達成されるべき何かが達成されないままに終わってしまうことだった。それは仕方のないことではない。』

 

この文章に出逢って、

私の考えは固まった。

 

自分にとって、かけがえのない、

あるひとつの時期である今、

達成されるべき何かに本気で向き合ってみよう。

後の人生に、悔いを残さぬように。と。

 

恋愛小説は、恋愛小説だ。

 

けれど、いくつもの気づきを促されることで、

ふいにいくつもの複合的な観点が交錯すると、

人生を否が応でもふりかえらざるを得ない気づきに

昇華される瞬間を提供してくれる、

 

こともある。

 

恋愛小説が、人生に偶然を呼び込んでくれることもある。

 

 

仰々しい表現となってしまったが、

言いたいことは、

 

あなたが生きている今が、

あなたの人生にとって大切で、

決して戻ることのできない「あるひとつの時期」だとしたら、

そこで達成されるべき何かに向かって、

行動ができているか?

 

ということです。

 

時計の針を戻すことはできません。

 

だからこそ、

心に、深く刻んで、日々を生きていきたいと

思います。

 

あなたが今、どうしてもしておきたい、

たった一つのことがあるとすれば、それは何ですか?

 

 

「自分にできることなんて、何も無いのではないか・・・と思ったときに、僕が思い出すこと」

あなたは、

自分にできることなんて、何も無い・・・

と思って、

打ちひしがれてしまったことはありませんか?

 

もしあるとしたら、

そのときは本当に辛かったでしょう。

 

僕も、無力感を感じることは、

日常的にあります。

 

でも、そんな中からでも、

今やれる小さなことをやってみませんか?

 

この考えは、

大学時代に訪れた東ティモールという国で

孤児院支援をしたときに気づいたことです。

 

 

孤児院は、首都から確か5時間ほど、

舗装もされておらず、

雨期には水浸しになってしまうような

岩がむき出しの凸凹の悪路を

ランクルでないと行けないような山奥にあります。

 

私達は約1週間ほど

衛生指導や、掃除、村の調査やかまどの設置、

子供達との交流を目的に滞在していました。

 

当時、私達は大学生で、

支援と言っても大それたことはできません。

 

掃除をしたり、日本で集めた衣類や遊び道具をプレゼントしたり、

いっしょに遊んだり、そんなことです。

 

隣では、オーストラリアからきたボランティアが、

雨期の嵐で壊れた民家や、

事務所の補修をしていました。

 

私達には、そんな特別な技術もありません。

 

私達は話し合いました。

 

「できることをしよう」

 

いっしょに掃除したり、

遊んだり、

食事を作ったり、、、

私達にできることは限られています。

 

そんな中で出てきたことは、

衛生指導です。

 

といっても、

 

手を洗うことを率先してやる。

 

ということです。

 

手を洗うことの大切さは、

日本では誰もが知っていることです。

 

しかし、当時の東ティモールでは、

教える人、率先する人が

あまりいないような状態でした。

 

手洗いを啓蒙するポスターもありませんでした。

 

「手を洗う」

 

ということの大切さが発見されたことで、

どれだけの命が助かったのでしょうか。

 

手を洗うことで防げることがあるということを

発見するまでに、

どれだけの医学的研究がなされたのでしょうか。

 

私達にとって、手を洗うということは、

普通のことです。

 

しかし、この状態になるまで、

長い時間がかかったのです。

 

手を洗うということが身近にありすぎて、

その大切さを忘れているのかもしれません。

 

私達のたった1週間弱の滞在で、

手洗いの大切さを伝えたところで、

孤児院の子供達にとって、

大きな変化はないかもしれません。

 

しかし、

 

そんな簡単なこと!

 

と思うようなことでも、

知って助けになる人がいる。

 

長い人生のなかで、

長期的にみれば、

小さなプラスを生み出すことができるかもしれない。

 

そう思うと、

どんな人にも、

できることはあるのではないか、

と思わずにいられません。

 

あなたの一つのアクションが、

誰かにポジティブな影響を与えたり、

気づきを促したりすることがあるんです。

 

だから、

 

大きなことをしなければ価値がない

 

のではなく、

 

小さなことでも価値はあるんです。

 

 

自分にできることなんて、何も無い・・・

 

ではなく、

 

自分にできることが何かある。

 

小さいかもしれないけれど・・・

 

と考えてみませんか。

 

あなたのその一つのアクションを

誰かが待っています。